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ーーガッ!
「くっ!」
クロスした腕に魔王であるギルベルトの拳がぶつかり、鈍い音を発した。
アルフレッドはビリビリと痺れる腕越しにギルベルトを見据えた。
「…いい加減、正気に戻ってくれないかい?」
「……」
アルフレッドの問いかけにギルベルトは無言を貫く。しかし、それも直ぐに膝蹴りがアルフレッドの腹部に迫った事で後方に大きく飛び退いた。
ギルベルトの遥か後方にアーサーの姿が見えるが、まだ合図が無い。
ロヴィーノは何が何なのか分からない秘書Aの腕を掴み魔法陣の外で不安気に此方を見ている。
アルフレッドはギルベルトとの圧倒的な力の差に眉根を顰めた。
「アルフレッド!余所見しとる場合ちゃうでアホ!!」
「!?」
バチン!と雷の轟音にハッとすれば、目の前でメタル化した大きなカボチャが煙を上げている。
ギルベルトの雷をアントーニョがカボチャで防いでくれたのだ。
「…分かってるさ」
アルフレッドはバツが悪そうに唇を尖らせると再度ギルベルトに集中する。
アントーニョと二人がかりでも劣勢な状況にアルフレッドは焦っていた。
カツンと一歩ギルベルトが足を踏み出すだけで逃げ出したい感覚に襲われる。それでも、どうにか対峙していられるのは、拳を握り締めて己を律しているからだ。

アルフレッドが待ち望む合図。それはロヴィーノのあの言葉、「一かバチか…一言叫べば良い」から作戦が始まった。
「は?なんて叫ぶのさ!」
「ンなの、菊が居たぞ!って叫べば良いんだよ」
アルフレッドはドヤ顔で顎を上げるロヴィーノの言葉が急に理解出来なくなり、自慢のケモ耳を撫で摩った。そんなアルフレッドの行動にロヴィーノは訝しむ様に睨む。
「おい、何だよその反応は…」
「いや、だって君さ今なんて?」
「だぁあ!ファンクーロ!あのな!俺が何の考えも無しにこんな事言うわけねえだろ!?」
顔を真っ赤にして怒鳴るロヴィーノを前に、何か考えあっての事だったのか。良かった。とアルフレッドは安堵した。
「…痛ぁあッ」
突然、背後から聞こえた声にアルフレッドとロヴィーノは肩を跳ねさせて振り返る。そこには眉根を寄せて肩を抑えながら上体を起こしたアントーニョが居た。
「…お、お前…ッ、いつまでシエスタしてやがんだこんにゃろう!!!」
「えぇ…第一声はもうちょい優しくしてや」
言葉とは裏腹にロヴィーノの表情は何処と無く嬉しそうで、アントーニョの表情も柔らかい。
「ほんで?親分は何したらええの?」
どうやらアントーニョはちゃっかりロヴィーノ達の会話を聞いていたようだ。ロヴィーノはフンと鼻息を鳴らすと、三人で顔を突合せた。
ロヴィーノの作戦はこうだ。
ギルベルトの注意をアントーニョとアルフレッドに向けさせている間にロヴィーノがアーサーにこの作戦を告げ、移転魔法で菊の元にギルベルトを飛ばす。
出来上がった魔法陣の中にギルベルトを吹き飛ばせば、後はアーサーが詠唱を唱えて転送は完了だと。
アルフレッドとアントーニョはあまりにもシンプル過ぎる内容に不安を滲ませていたが、ロヴィーノの「アーサーが責任をとるだろ」と何とも人任せな返答に「そうやな。親分知らんへんし」「アーサーなら問題ないよね」と此方もまた軽かった。アーサーが聞いたら激怒しそうだが、この場に本人が居ないのは幸いである。
【どんな事になってもアーサーが責任をとるのでお咎めなし】という事でアルフレッドとアントーニョは清々しい程の笑顔で立ち上がり親指を立てた。
「ほな!行こかアルフレッド!」
「OK!要するに魔法陣が完成したらそこにギルベルトを吹き飛ばせば任務完了だね!」
「おう!頼んだぞお前ら!」
勇ましくギルベルトとアーサーに向かっていく2人の背中を見送った。
ロヴィーノにとって、ここまでは簡単だった。

アントーニョとアルフレッドが何とかアーサーを救い出した所でロヴィーノは作戦をアーサーに告げる。しかし、アーサーの魔力の消耗が激しく魔法陣を錬成させられるのかが問題となった。
「…今回の事は悪いと思ってんだ。ある程度のお咎めは覚悟してるさ。だが、俺の力が足りない。魔法陣を錬成しても転送させるには補助となるアイテムが必要になる」
ギルベルトに首を掴みあげられている間に治癒魔法や首の鋼鉄化に魔力を消耗し続けていたのだろうとロヴィーノは顔色の悪いアーサーを観察しながら思った。そうでなければ今この場にアーサーは生きていられない。
「…アイテムってどんな?」
「より濃い繋がりや執着がある物。そうじゃねえと妃とゴリラを飛ばした世界線を探せねえんだ」
「…繋がりや執着のある物」
ロヴィーノは思案するように腕を組み、荒れた室内に視線を彷徨わせた。
そんな物あるのだろうか?ギルベルト自身を向こうに飛ばすのだからギルベルト自体が繋がりや執着ある物としてのアイテムにはならない。
しかもだ、より濃い物。菊やゴウリーと繋がりがあって執着もある…そんな物あるのだろうか?
ふとロヴィーノが彷徨わせていた視界に人影が入る。床に突っ伏して涙に暮れる秘書Aだ。
「…うぅッ、もうこの世の終わりですよ……」
菊が目の前で消されてしまった喪失感と文句を言いながらもこれまで寝食を共にした同じ境遇のゴウリーへの哀愁。
そんな秘書Aの心情を他所にロヴィーノはハッと目を見開くと不敵に笑んだ。
「そうか。……何とかなりそうだぜ?」
不敵に笑むロヴィーノにアーサーは疑問符を浮かべた。



ギルベルトの向こうでは額に大粒の汗を流しながら魔法陣を錬成していたアーサーが魔法陣の錬成が完成したのか床に座り込んだのが見えた。
「……!頼むでアルフレッド!!」
「OK!!」
アントーニョの声を合図にアルフレッドは残った魔力で全身の筋肉を倍加し、ギルベルトに真っ直ぐ駆け出す。
ギルベルトが禍々しいオーラを纏い出すと今度は座り込むアーサーの隣でロヴィーノが大声を張り上げた。
「…菊だ!!菊が居るぞこんちくしょうめ!!!」
「え!?ど、何処ですッふが!!」
「!?!?」
ロヴィーノの発した「菊」という名前にギルベルトは動きを止めて、大きく目を見開いた。ついでに馬鹿みたいに大きな声で反応した秘書Aの口を塞ぐ。なんで此奴が1番大きく反応しているんだとロヴィーノは苛立ちさえ覚えた。
チャンスとばかりにアルフレッドが倍加した大きな身体でギルベルトにエルボーを炸裂させ、見事魔法陣の範疇に吹き飛ばす。
「今だアーサー!!」
「任せろ!」
「ちょっ、痛ッあぁああぁああ!?!?」
ギルベルトが魔法陣の範囲に入ると同時にロヴィーノがアーサーに声を張り上げながら魔法陣の中へと秘書Aを蹴り飛ばした。
アーサーは不敵に笑むと星の付いたステッキを魔法陣に向ける。
「transference!」
短い詠唱と同時に魔法陣が真っ白に発光し、その光はあっという間に部屋全体を飲み込むように大きな閃光となった。

ーーバチッ!!

破裂音のような音が響き渡り、影も何もかもが真っ白な光の中に消えていく。1分にも満たない時間で光が弾ける。
「……ッ!、」
窓から吹き込む風でハッと目を開ければ、魔法陣の上に人影が無い。あれ程禍々しいオーラで空間を圧迫していた感覚が忽然と消えていた。
アーサーはドッと倦怠感に襲われる体を無視して今後の作戦を考える。
転送には恐らく成功した筈。向こうに繋がりのある対価として秘書A自体を魔術の工程式に置き換えたのだ。きっと大丈夫。問題なのは向こうに着いたギルベルトが菊を探し出してこの世界線に戻ってくる方法がない事。
向こうに自分と同程度の【おまじない】の力を持つ物と知識量を持つ者がいれば何とかなるだろう。そういう人物をギルベルト達が探し出せるか……そこでアーサーはハッとした。
「……くっそ、対価が問題じゃねえか。帰りの事考えて無かったぜ」
そう、行きの対価が秘書Aだとして、帰りの対価が必要なのである。ガシガシと頭を搔くと考えあぐねた。

「せ、成功した……?」
ようやく訪れた静寂にアルフレッドが力無く座り込むとアントーニョも気が抜けたように床に大の字に寝転がる。
「もうギルちゃん強過ぎやし!親分疲れたからシエスタしたいわ〜」
そんな中未だに沈黙するロヴィーノに気付いたアーサーが思考を中断し、訝しげに近寄りながら声を掛ける。
「?、おいお前…」
「……くっそ!目が痛え……ッ!」
忌々しげにロヴィーノが吐き捨てた。
目を閉じて腕で覆い隠していてもチカチカとした光が瞼の裏で明滅を繰り返し目が痛くなる。堪らず座り込み、膝を抱えた。それでも瞼の裏の明滅は収まらないのだ。失明の恐怖に歯を食いしばる。
「おい、目を開けろ」
苦しげなロヴィーノに見兼ねてアーサーが星の付いたステッキを片手にロヴィーノの前で膝をつく。
「…開けろって、簡単に言うんじゃねぇよ」
「うるせぇ。早くしろ直ぐ終わる」
「ち、ちぎ…!分かりましたで御座いますコノヤロー」
指先で瞼を押し上げなければ自力で開眼など無謀だ。ロヴィーノは硬く閉じる目蓋を親指と人差し指で抉じ開けた。
「……ッ!」
開けた視界が刺す様に痛い。
因みにロヴィーノの語尾に流れるように付いたスラング、コノヤロー発言については聞こえなかったフリをするアーサー。一応ロヴィーノの起点が働き、命拾いしたような物なので少しばかり心は寛大なのだ。
「recovery」
アーサーがステッキを小さくロヴィーノに向けて振り、治癒魔法を唱えれば漸くロヴィーノの視力が正常になる。パチパチパチと何度も瞬きを繰り返して焦点が一致すればホッと恐怖から解放された。
「……あ、」
少しばかりボヤけた視界では腕組みをして何故か不機嫌な様子のアーサーと床に座り込むアルフレッドとアントーニョのキョトンとした姿が見える。
「こ、これはお前の為なんかじゃなくて俺の為なんだからな!後から目が見えなくなったとか愚痴られたら天界の外聞もあったもんじゃねえし!!つ、つつつつまり全部俺の為なんだからな!!勘違いすんなよこのバカァァ!」
「チギャア!?か、かかか畏まりました!!全部アーサー様の為ですともコノヤロー!!!」
アーサーの剣幕に怯えてロヴィーノも必死に大声でフォロー(のつもり)をしたのだが、アーサーは逆に傷ついた顔で眉を寄せる。
「……なんでそんなビビってんだよバカ」
「めめめめ滅相もないですコノヤロー!!早くお帰り上がり下さいませチクショー!ファンクーロ!!!」
「…てめぇ…ッ喧嘩売ってんだな?上等だコラ」
「ちぎゃあああ!!売ってませんで御座います!買わないで下さいませカッツォ!!!」
「さっきから流れるように語尾に罵倒語つけてんじゃねぇぞこの馬鹿ぁあ!!」
「ちぎゃあああ!?」
「待てコラァア!!!」
罵り合っていると思えば今度は鬼ごっこを開催するアーサーとロヴィーノにアルフレッドとアントーニョは小さく笑った。
「なんや緊張感あらへんなー」
「君が言うと違和感しか無いんだぞ」
呆れるアルフレッドの目の前で黄色い塊がフヨフヨと現れた。その上に引っ付くようにオレンジ色の塊も居る。ハゲとザコだ。
「What's ?どうしたんだい?」
アルフレッドが問いかけるとハゲはザコの頭頂部に水性マジックで文字の羅列を並べた。ボード代わりにされたザコは擽ったいのか小刻みにピクピク揺れる。
「ん?どないしたん?」
アントーニョが隣からザコの頭を覗き込めば、アルフレッドと共に目を丸くした。
【連れ戻すから眉毛の人に魔法陣をもう一度起動させてほしいデス】
「え?連れ戻す?……って誰をだい?」
ーードゴッ!!
不思議そうに頭を傾げたアルフレッドの額にハゲの頭突きが炸裂した。
「No!!すっごい痛いんだぞ!!!」
涙目のアルフレッドにフスーッと湯気を立てるハゲ。
アントーニョは暫し沈黙した後、「分かった!」と手を打つ。
「ギルちゃんと菊ちゃんの事やろ!あの2人に異空間に転送する能力無かったと思うで!転送出来ても半径10kmがええとこやってギルちゃん何でか知らんけどドヤ顔で言うとったし!」
アントーニョの回答が正解だったのか、気をよくしたハゲはアルフレッドの前髪から手を離して大きく頷いている。ザコもどこかキラキラしたような目でアントーニョに拍手を送っていた。
「……随分凶暴なゴーストなんだぞ」
痛む額を撫でながらアルフレッドが唇を尖らせていれば、アントーニョは未だに鬼ごっこを繰り広げる2人を呼び寄せた。
「おーい!いつまで遊んでんねん!まだやる事あんでー!!戻って来ぃな!!!」
「「遊んでねえ!!!!!」」
「なんや、息ピッタリやん」
のほほんとアントーニョが笑えば、ロヴィーノとアーサーは頬を引き攣らせた。
「ま、まぁいい。ところで、大事な事を言うのを忘れていたんだが…」
コホンと咳払いをして気を取り直したアーサーが深刻に告げれば、アルフレッドが眉を顰めた。
「何だい?もう今だって大変なのにこれ以上面倒事を増やさないで欲しいんだぞ」
「…ッ、」
ぐぬぅと唸るアーサーにロヴィーノはハゲの頭に頬杖をついてバレない様に口角を上げている。
ザコがアントーニョの服の裾をグイグイと引っ張った事でアントーニョは当初の目的を思い出した。
「あかん、また流されよったわ…。おおきにザコ」
アントーニョの微笑みにザコが目をキラキラさせて得意気に頷いた。そんなザコの頭にアントーニョが掌を載せてアーサーに向き直る。
「そこでや、このゴーストちゃん達をあの魔法陣でギルちゃん達の所に送ったってや。ゴーストやから既に死んどるし、対価とか要らんやろ?」
「!!、お前…対価の事知ってたのか?」
驚くアーサーにアントーニョは半眼になると撫でていたザコの頭をグニュッと鷲掴みアーサーに掲げて見せた。ザコの目が更に輝いてピンク色に顔が発光しているのはスルーだ。
「あほか。そんなけったいなモン知る訳ないやろ。ゴーストちゃん達の助言や」
人が下手に出てりゃこのカボチャ野郎……ッとアーサーが拳を握ったところで、アルフレッドが「アーサーにしか出来ない事なんだから、さっとやってくれないかい?」と言う発言に気分を向上させる。
チョロい奴と呟いたロヴィーノの言葉も聞こえない程、魔力を魔法陣に注いでいた。

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