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年がら年中作物が瑞々しく実るカリエド農園。魔界随一の大農家だ。
今日も今日とて農園はほのぼの平和である。
しかし、平和とは程遠い表情でビクビク過ごす吸血鬼が農園の事務所に居た。まるで何かから怯えるように、小さな物音にも顔を青ざめさせて泣きだしそうになる始末。
デスクの上には未処理のまま置かれた納品伝票や請求書達。
ロヴィーノは懐を抱き締める様に屈むと「お前だけが頼りなんだぞこのヤロー」と一人呟く。
アントーニョは今朝から様子の可笑しな子分に目を瞬かせて観察していた。
いつもの横柄な態度は成りを潜め、煩いくらいスラングを吐き出す声音は小さい。さっきから独り言が多いばかりで仕事が進んでいないのだ。
「なんや?どないしたんロヴィ?」
アントーニョが溜まりかねて眉を下げて尋ねればロヴィーノは蒼い顔でジトリとアントーニョを見上げた。
「そもそも…ッ、トーニョのせいだろうが!!お前がサインさえちゃんと貰っとけば俺はこんなにも恐怖する事が無かったんだ!こんちきしょうめ!!」
鬱憤を撒き散らす様に怒鳴りだしたロヴィーノにアントーニョは朗らかに笑う。
「お、元気そうやなぁ!良かったわぁ。親分体調悪いんか思って心配したんやで?風邪は万病の元言うから気ぃつけなあかんよー」
ニコニコと笑うアントーニョに頬が引き攣る。ダメだ。話が通じない。とロヴィーノは白目を剥いた。
「チギーッ!!もういい!くたばれトーニョこのヤロー!!」
「なん?酷いわぁ。でも元気が一番やもんなぁ」
ニコニコと躱すアントーニョにロヴィーノは大きく舌打ちすると、書類の束に手を伸ばす。

漸く仕事を再開したロヴィーノにうんうんと頷くと、アントーニョも書類の山に手を伸ばした。



そろそろ昼休憩に入ろうかという頃合。
アントーニョは大きく伸びをして、凝り固まった肩関節をバキバキと鳴らす。
アントーニョに倣う様にロヴィーノも眉を顰めて肩を揉み解しながら大きく息を吐いている。
「お疲れさん!昼メシにしよかー」
「おい、トーニョ!あれ食いてえぞ」
「あれ?…ぁあ!アヒージョかいな?ほんなら、オムレツとフランから貰ったバゲットも用意しよか。親分に任せとき!」
ロヴィーノからの要求に大きく頷いたアントーニョ。【あれ】だけで把握するアントーニョにはロヴィーノとの生活の長さが窺える。
ジャックオランタンであるアントーニョはロヴィーノが幼い頃からずっと一緒にいる親代わりであり、兄弟の様な存在でもある。意思の疎通も難儀しないのだ。
「あ、あと生のトマトと白米もな」
アントーニョが席を立ったと同時にロヴィーノから追加されたメニューに身体の動きが止まる。
「へ?トマトは勿論やけど、バゲットやったらあかんの?白米がええのん?」
バゲットがあるのだから白米は不要だろうとアントーニョが目を瞬かせると、ロヴィーノは「どっちも出せよ!」とアントーニョの疑問には答えずに先に席を立って退室してしまう。
ポツリと残されたアントーニョは未だに腰を中途半端に浮かせた状態で目を瞬かせていた。
「え?ほんまどないしたんあの子?」

1人零した疑問は誰も聞いてくれない。



疑問符を浮かべながらも、ちゃんと釜で炊いた白米を準備する。アヒージョにバゲットにトマトのサラダ。
食卓に並ぶ料理を囲むのはアントーニョとロヴィーノの2人だけなのだが…
白米を茶碗によそい、しゃもじでペンペンとよそった白米の頭頂部をならし、アントーニョは目の前のロヴィーノの仕草に釘付けとなっていた。
「…ん?美味いか?」
さっきから自分の懐に喋りかけているのだ。しかもトマトを丸ごと懐に放り込んでおいて、美味いか?と問い掛けてさえいる。
そんな呆然としているアントーニョに気付いたロヴィーノが急に目を吊り上げた。
「チギーッ!何ずっと見てんだよ!気色悪りぃな!さっさとメシ寄越せこの野郎!!」
「えー、酷いわぁ。ほんでもさっきからロヴィはどないしたん?何か抱えとんの?」
山盛り茶碗を手渡しながらアントーニョが問い掛ければ、ロヴィーノは一瞬キョトンとした顔になった後、何か合点がいったのか「言ってなかったか?」と呟いた。
「親分何も聞いてへんで?ずっとご飯の準備しとったんやから」
キッチンに篭りっぱなしだった為、ロヴィーノから何の話も聞いていない。と言うより話しかけてもくれないのだ。理不尽に思う。
ロヴィーノはご飯茶碗をテーブルに置くと、徐にシャツの合わせ目を引っ張り「よし、出て来い」と言うや否や、中からオレンジ色のゴーストがニュルンと出て来た。
「!?、あれ!?何でハゲが此処に…ってか、何でロヴィーの懐で居るん!?」
トマトをムシャムシャと丸齧りするハゲを指差してアントーニョが問えば、ロヴィーノは至極嫌そうな顔で椅子に座り直した。
「コイツは俺のボディーガードだ。バケモンから身を守る為のな」
物騒な台詞にアントーニョは思わず真顔になる。
「…へぇ。バケモンなぁ。何の種族なん?親分がバーンしてドーンして来たるで?」
真顔でバーンだとかドーンと言われても可愛くもない。逆に怖い。
ロヴィーノが頬を痙攣らせながらバゲットを手に取ったところで、地響きのような異音と共に床板がミシミシと音を鳴らした。
「…なんだ?地震か?」
「バーンしてドーンですって!?やれるもんならやってみなさいよおおおおお!!!」
「ちぎゃあああああ!?!?」
突如響き渡った怒号にロヴィーノは恐怖から悲鳴をあげ、ハゲはプラカードを構えた。そしてアントーニョは第三者の声にキョトンとして辺りを見渡している。
「え?何なん?」
アントーニョが辺りを見渡しても人の影が見えない。
さっきのは空耳だろうか?と首を傾げた瞬間、ドゴンッ!!!と食卓テーブルの隣の床板が吹き飛んだ。
「「ッ!?」」
「ドゥアァアリン(ダーリン)!!!」
飛び散り舞う床板の残骸の中、真っ赤な布地を身体に巻き付けた…オーガ…いや喋るゴリラ?いっそバケモノと言い表せた方がしっくりくるモノが現れた。
「ちぎゃぁあ!!ハゲ!アントーニョ!どうにかしろ!この野郎!!」
テーブルの下に避難してガタガタと支柱を握り込むロヴィーノ。その震える手は支柱を揺らし、テーブル全体をガタガタと大きく揺らしている。
「いやん!ダーリンったら恥ずかしがり屋さんね!!ダーリンのゴウリーちゃん参上だっちゃ!うふん、嬉しくて震えてるなんて可愛いわ!!」
「チギッ!?お、おおおおおお帰り下さいませこの野郎!!」
大きな巨体がテーブルの下を覗き込み、目当てのロヴィーノを見つけてニンマリと笑う。
「さあ、ダーリン?ゴウリーちゃんの特性カップケーキは如何?」
ゴウリーの恐ろしい声音と笑顔にロヴィーノは震える事しか出来ない。辛うじて頭を横にぎこちなく振る事は出来た。
「え?……あらやだ!ゴウリーちゃんも戴きたいですって!?OK!come on!!」
一言も喋ってないのに会話がドンドン不穏な方向に流れてロヴィーノは言葉を失う。一体どんな聴覚だ。いやこの場合、ゴウリーの妄想が斜め上を行き過ぎているのだ。恐ろしい。
更に顔を寄せて来たゴウリーの厳つい顔にハッとなる。獲物を狩る鋭い眼光と目が合った瞬間、ロヴィーノはどうしようも無い恐怖から絶叫した。
「ーーッち、ちぎゃああああああああああ!?」
ーーズドンッ!!!
「ンゴふぉおッ!?」
痛快な音と共に、巨体な身体がドスンと後ろに倒れた。その顔にはプラカードが突き刺さっている。
アントーニョがポカンと眺める先には、ハゲが顔色を真っ赤にしてロヴィーノを守るように陣取っていた。あのプラカードはハゲのアイテムだ。
「…ぉ、おおおおお!!!良くやったぞこのヤロー!!!ザマァみやがれバケモノが!!ケ・バッレェエエ!!!」
漸く状況を理解したロヴィーノが喜びの声をあげてハゲのツルツルした頭を撫で繰り回しながらバケモノに中指をたてている。その顔があまりにも悪役地味ていてアントーニョは嘆息した。
「ロヴィ?友達と遊ぶんはええけど、友達は選びや?親分将来が心配や」
子分の交友関係にとやかく言うつもりは無いが、あのバケモノみたいなのはちょっと…と思ってしまう。アレは明らかに変態だ。悪友にもフランシスとか言う変態は居るが変態の系統が違う(と思いたい)等と考えが過ぎり、面倒になったアントーニョは思考を放棄した。
「ま、ええねんけど…」
「〜っおま!?よりにもよってアレが友達はねえぞ!!どんな目ぇしてやがんだこの野郎!!!」
チギーッと真っ赤な顔で怒りを露わにするロヴィーノ。
「そうよ!!友達だなんて薄っぺらい関係じゃないのよ!!運命の人よ!ディスティニーよ!!!」
「ちぎゃぁあ!?気色悪りぃぞ!!お黙り下さいこのカマ野郎!!!」
「あん!ツンデレのツンばっかりねん!!つれないわ!」
フンッ!とプラカードを粉砕しながらディスティニーだと宣言したゴウリーにロヴィーノは自分の身体を抱き締めながら必死に抗議する。
そんなロヴィーノに対してゴウリーは唇を尖らせて頬を膨らませた。可愛こぶりっ子のつもりだろうか。不気味である。
アントーニョはその頬を張り飛ばしてやりたい気持ちをグッと耐えて、粉砕されたプラカードを呆然と見つめるハゲの隣に座り込んだ。
「あーぁ、メッチャ粉々やん」
どう足掻いても、粉砕されたプラカードは元に戻せない。ハゲはプルプルと顔を青に染めてアントーニョを見上げる。丸っこい瞳には涙が光っていた。
「あー、泣かんといて?元には戻せへんけど、親分がまた新しいの作ったるさかい、それでもええか?」
瞬間ハゲの顔色は黄色に発光する。どうやら嬉しいようだ。
このプラカードはアントーニョのお手製だ。新調してくれるのだと思うとハゲはアントーニョの頭の上で踊り出した。
「そない嬉しいん?はは。親分頑張るでー!」
ニコニコと穏やかな雰囲気を醸し出していれば、「トーニョこの野郎!!!」と罵倒が飛んで来た。
アントーニョが振り返るといつのまにか壁際にまで追い込まれたロヴィーノがゴウリーを眼前に大泣きしている。
「…あーもー、何なん?平和やったのにぶち壊しやん」
至極残念そうに嘆息しながらも、この大柄な化け物をどうしようかと思考する。
服から覗くゴウリーの筋肉はオーガ級だ。アントーニョよりも2周り…3周りは太いだろう。
「あら?邪魔しようっての?それとも混ざりたいのかしら?3Pなら大歓迎よ…」
化け物はニンマリと微笑む。気色悪い。アントーニョは全身鳥肌に襲われた。
「うーん、取り敢えず親分はちゃんとした女の子の方がええかな。…子分泣かすような化け物は勘弁や」
「……あらん、残念ね」
ボキボキッと指の関節を鳴らすアントーニョとアントーニョに向き直り拳を握り締めたゴウリー。
睨み合う二人の周辺気圧が変動していく。ミシミシと家鳴りが聞こえて、殺気が充満していくのがロヴィーノにもよく分かった。思わず固唾を飲み込んで目の前の光景を見守る。
すると徐にアントーニョが薄ら寒い笑みを浮かべて人差し指を1本立てた。
「……一つ、ええ事教えといたるで」
「あら?なぁに?命乞いなら1割だけ聞いてあげるわよん」
「命乞いとちゃうわアホ。何なら耳寄り情報や」
「ーーッ!、良いわ。聞こうじゃないの」
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