贄嫁13

山々に囲まれ、山神の加護と施しを存分に受ける小さな村。
その小さな村では数多の変化があった。かつてはデコボコしていた道が綺麗に舗装され、暗闇ばかりだった道にはガス燈が至る所に配置されている。明るくなった夜には人通りが多くなり、5年前よりも明らかに人々の暮らしがより良いものになった。
この5年足らずで村は商業・畜農業・工業と大きな発展を遂げ、そんな村の噂は各地を瞬く間に駆け巡り、多くの移民者が村に押し寄せて来た。そうなると当然住む場所に困る。幸な事に、移民者の中には建築技術に長けた者が居り、二階建ての建造物を四階建てや五階建てに作り変えていった。みるみる内にアパート型・マンション型があちこちに増え、移民者達は居を構えていった。

最早村では無く一都市として名を連ねてもおかしくない程に人口も物件も増えて行ったのだ。



雪解けに冬の終わりを感じ始めた夜、ギルベルトは師であるヴィルヘルムと共に人々で賑わう酒場に来ていた。
ビールとヴルストを胃袋に入れ、鍛錬方法やヴィルヘルムの騎士時代等話し込めば割と話題は尽きない。
一見性格のソリなど合わない様に見受けられる2人だが、ヴィルヘルムのストイックで物静かな性格とギルベルトの生真面目で几帳面な性格は馬があったのだ。

ヴィルヘルムはビールを手にニコリともせずに剣技について話すギルベルトを見遣りながら、今まで共に過ごしてギルベルトの笑顔を見た事が無いと唐突に思い、過去の記憶を辿る。
あの日、村長であるマルコスからギルベルトを託され、村外れに居を構えた。移住して来たばかりで住む場所を探さなければならない夫妻にとっては有難い話だ。
隣り合った住居を提供してくれたマルコスに感謝し、ヴィルヘルムはギルベルトの師となった。剣技・座学共にギルベルトはスポンジの様に吸収していく。その姿に教え甲斐を感じたヴィルヘルムは更に指導に熱を上げた。当初は軟弱だったギルベルトも5年も経てば見違える程に逞しくなり、顔立ちも勇ましくなった。
その間、偶に姿を見せるギルベルトの友人達(村に来た当初案内を買って出た二人組フランシスとアントーニョ)とギルベルトの間に目に見えぬ蟠りを感じたが、年月を経て今では多少のぎこちなさは残るものの、月に一度は泊まりに来て弟分であるギルベルトの世話を焼いてくれているらしい。
その弟分の実弟、ルートヴィッヒはヴィルヘルムを警戒してはいるが、兄の面倒を見てくれている事実は認識出来ている様で野菜のお裾分けや挨拶を律儀にしてくれている。生真面目さで言えば弟の方が上だろう。何方が兄で弟なのか精神的な面では分からなくなりそうだ。

過去の弟子と今の弟子の姿を頭の隅に思い起こしながらも、その弟子のこれからを案じる。
過去の悲惨な出来事を燃料に執拗なまでの力への渇望と憎きモノへの復讐心。
目の前で至極真面目な顔付きで剣の握り込みを相談してくる美麗な弟子が、憎しみに囚われ身を滅ぼさなければ良い。と切に願いながらビールを呷った。

ふと、テンポよく弾んでいた会話が途切れる。というよりもギルベルトが突然険しい顔をして黙り込んだ事に、ヴィルヘルムも口を閉ざした為、会話が必然的に途切れたのだ。
ヴィルヘルムはビールを口に含み、聞こえて来た会話の中で【キク】という名を耳にした。どうやらギルベルトが黙り込んだのは、隣のテーブルに座る男達の話を意識したからだろう。
「ーー、こんなに平和になったのも、菊さんのおかげだよ」
「そうだな…もしあの子が生きてたら22になってたんだよな?」
「ああ。きっと村一番の美女になってた。あの頃の俺達も、いや、この村の誰もがあの子に恋してた…」
「「…」」
男達の間に落ちる沈黙は見ているだけでも痛々しい。
ヴィルヘルムはギリッと聞こえてきた音に目の前のギルベルトを見遣る。
「…ッ」
そこには木製のビールジョッキを握り潰さん勢いで戦慄く弟子の姿。さっきの妙な音は歯軋りをした音だ。

確か、【キク】という娘はギルベルトの…。

ヴィルヘルムは少し多めに紙幣をテーブルに置くと席を立つ。
今、ギルベルトに掛けてやる言葉がない。寧ろ掛けない方が良いだろう。抑えようとはしているが殺気が漏れ出ている。ギルベルトの山神に対する憎悪は日を重ねるごとに強く禍々しい物になっていく。
トンと軽くギルベルトの肩に手を乗せてヴィルヘルムは酒場を後にした。



ヴィルヘルムが去った後もギルベルトは握り締めた拳を震わせたままで、大切な恋人を贄嫁にされて手に入れた平和に何の意味があるんだと胸中で悲鳴をあげ続けていた。
菊が贄嫁にと望まれてしまった。たしかにあの時病に倒れた弟も子供達も助かったし、村は急激に発展した。
だがその影には、これまで贄嫁という歴代の娘達、大切な恋人が犠牲になっている。
何が神だ。
人の命を、1人の人生を奪う神?人に災いを起こす神?そんなのは神じゃない。悪魔だ。

《村の掟なんて本当はどうでも良い…、だからねギルベルト。アンタはアンタの思う事をやれば良い》

死の間際にギルベルトの母が遺した言葉を今も繰り返し思い出す。
思う事。それはギルベルトにとっての復讐。神なんて居ない。菊を奪って行った悪魔に復讐する為ならなんだってやるつもりだ。
ギルベルトの大切な恋人はもう居ない。
まだ腕の中で照れた顔を、そして優しく微笑む顔、拗ねた顔、困った顔も全部鮮明に覚えている。こびり付いて離れない愛おしい人の姿。

ギルベルトは一気にビールを呷るとギュッと目を閉じて吐露したい衝動を押さえ込んだ。
『…菊』
ギュッと握りしめたジョッキの柄はミシミシと音を立てる。

「ーーなのか?あの山の峠ーーだな?」
「見た事も無い綺麗な黒髪のーーだった」

ガヤガヤと賑わう中でギルベルトの耳に届いた会話。
山の峠・黒髪の女性…これらの単語から連想されるのは愛しい人。
ギルベルトは思わず会話する男を目視で探し出す。
カウンター席に座る男達、商人風の男から話を聞いているのは大柄な男と金髪の男、そしてその隣で料理を食べながら話を聞いている若い眼鏡の男が居る。
この村では見たことの無い男達だ。

「ほんとだって!ちょうど峠に差し掛かった時だ。小さな子犬を腕に抱く黒髪の美女が崖の上に腰掛けて村を眺めてたんだって!ありゃモノノ怪じゃなけりゃ天使様か女神様に違いねえ!見たことの無い色合いだしよ!」
興奮気味に商人が身振り手振りで話を繰り返している。
「へぇ。不思議だよねぇ?女性が一人でって…、どう思う?アーサー君?」
大柄な男がにこやかにアーサーと言う男に話しかければ、そのアーサーと呼ばれた男は顎に手を添えて小さく頷いていた。
「まぁ、可能性としては人外だろうな。しかし、山の峠か」
アーサーの隣で黙々と料理を食べていた青年は少し青い顔でアーサーを見上げる。
「アーサー?もしかして山に行くとか言わないよね?人間ならまだしも、ゴーストだったらどうするんだい!?殴っても倒せないじゃないか!」
文句を零しながらも、フォークに刺さった肉を一口で食べる様子から本当に怖がっているのか判断に困る。
しかしギルベルトにはそんな事よりも商人の話が頭の中を占めた。
その怪しい女は菊じゃないか?いや菊かもしれない。何故だか分からないが菊だという確信が湧いてくる。

〝菊が生きている〟

高揚から瞼が痙攣し、鼻奥はツンと痛む。涙が溢れ落ちそうになる目元を荒々しくシャツの袖で拭い去った。
ギルベルトは昂りそうになる気持ちを必死に抑制し、ドクドク大きく鼓動する心臓と滾る血潮に『落ち着け、鎮まれ』と悪態を吐きながら、男達の側にあるテーブルに移動する。
カタリと静かに木製の椅子を引いて浅く腰掛けると、一言一句聞き洩らすまいと会話に耳を傾けた。



それは希望への道標か。
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。