贄嫁12

この世界には色が無い。
見渡す限り灰色だ。
新緑の緑も、澄み渡る青空も、瑞々しい赤い木苺も。
あれ程美しかった筈の夕焼けでさえ、今の俺には全部灰色だ。

『ギルベルト君、この自然全部が美しい色でしょう?』
ーー分かんねえよ。何色だったか思い出せねえ。
『ねぇギルベルト君。夕日が綺麗ですよ』
ーーお前が居ないのに、綺麗なんて思える訳無えし…
『ギルベルト君!また明日!』
ーーなあ?お前、本当に…もう居ないのか?もう逢えねぇのか?
『来世でも、愛してます』
ーー来世って何だよ?
…けど、来世があるなら、探し出す。お前が猫でも鳥でも、カエルでも虫でも、何に生まれ変わっても探し出して、必ず愛してやる。
『ありがとう、ギルベルト君』
ーーだから、来世で笑って待ってろ。

ーー悪魔に絶対復讐してやるから。





真っ白な簡易ベッドの上で上体を起こしたまま、ただ窓の外を見つめるギルベルト。
足には固定された木の板とグルグルに巻かれた包帯があり、骨折していた事が窺える。
ベッド脇の椅子に俯いた少年、ギルベルトの弟ルートヴィッヒが居た。
「…兄さん、ごめんなさい」
碧色の瞳には溢れ出そうな涙が浮かんで、悔いる様にギルベルトに謝る。
「……」
その謝罪に対して、ギルベルトは無言で目を向けるでも無く、ただ窓の外を眺め続けている。
耳が聴こえていないのかピクリとも動かない兄の抜け殻のような姿にルートヴィッヒは目を伏せた。

ルートヴィッヒが、贄嫁として菊が村から去ってしまったと聞いたのは、その儀式から3日後の事だった。
ベッドの上でその話を聞いた時、ルートヴィッヒは生まれて初めて絶望し、泣き喚いた。そんなルートヴィッヒをフランシスとアントーニョが抱き締める事で受け止めてくれた。
そして姿を一向に見せない兄の存在を、友人である彼等に尋ねたのだが、儀式の翌日から姿を消してしまい、村の誰も見かけなかったというのだ。それはルートヴィッヒを更なる悲しみのドン底へと突き落とした。
兄は病になってしまった自分を忌々しく思っただろうか?菊を連れて逃げられなくて…。自分が病にならなければ、存在さえしなければ、兄と菊は幸せになれていたのではないか?

そんな自虐的な思考が頭の中を占めて苦しくなった。

そして、半年もの月日が流れた頃、旅人2人に肩を貸され、衰弱して傷だらけ状態の兄が村に戻ってきた。
旅人の1人は中年男性で、もう1人は中年女性。2人は夫婦で王都からこの村に移住しに来たのだと言う。

彼等の話では、ギルベルトは山を1人で練り歩いていたのではないか?とした上で、崖から滑走したのか足の骨が折れたギルベルトを発見したのだと言う。
その時、ルートヴィッヒは兄の無事だった姿に酷く安堵し、「兄さん!」と声を上げたのだが、ギルベルトから返答があるわけでも無く、その視線すら合わなかった。
怒っているのかもしれない。と思い至ったルートヴィッヒは足場が崩れていく感覚に放心となる。

その後、詳しい話がしたいと申し出た中年夫妻をフランシス、アントーニョが村長であるマルコスの家へ案内を買って出た。

そして今、ルートヴィッヒは診療所のベッドに座る兄を、罪悪感で溢れた心地で見つめ、小さな拳を握り締めていた。
兄が1人で山に入ったのは、きっと菊を連れ戻す為だろう。若しくは、山神への復讐なのかもしれない。
兄は実直で真面目で、愛情深い人だ。
菊の為ならなんだってするだろう。

山神をーー、

そこまで考えて、ルートヴィッヒはゾッと肝を冷やした。
兄は神に挑むつもりなのだろうか?
無謀にも程がある。相手は神様だ。敵いっこない。
もう誰も失いたく無い。
失いたくないと思った瞬間、ルートヴィッヒの記憶の中で、菊の優しく微笑む姿が浮かんでは儚く消えていった。

ーー、嫌だ。もう誰も居なくならないで欲しい。

握り込んだ拳の中で爪が皮膚に食い込んでチリリと痛む。
「…兄さん、無茶しないでくれ」
「……」
小さく震えた言葉にギルベルトからの返答が返る事は無かった。



「ギルベルトを助けてくださった事、深く御礼を申し上げる。本当にありがとう」
深々と頭を下げた村長であるマルコスに旅人の夫婦は頭をあげる様に慌てる。
「そんな、当然の事をしたまでよ!」
妻の名はアイリス。赤髪に碧色の瞳を持つ女性だ。夫はヴィルヘルムと言い、元騎士であり、歳の割にガッチリした体躯を持っている。背中の中頃まで伸ばした白髪に碧色の瞳を持つ男性だ。
「それで?あの子はどうして軽装備で山に入ったんだい?しかも1人きりなんて…」
アイリスの疑問にマルコスは目を伏せた。
「何か、訳ありか?」
ヴィルヘルムの射抜くような鋭い眼差しにフランシスとアントーニョは眉を下げる。
「…つい、半年前の事じゃ」
突然マルコスが観念した様にポツリと語り出す。フランシスとアントーニョはギョッとした様相でマルコスを見遣るが、マルコスは大丈夫と言わんばかりに頷く。
「…この村で、100年も昔から続けられて来た儀式があったんじゃ」
マルコスの台詞にヴィルヘルムは眉を顰め、アイリスは訝しむ様に目を細める。
「ふむ。その儀式とはどんな物だったのか聞いても?」
「…10年に一度、18を迎えた処女を古より伝わる山神様に奉納する儀式じゃ」
「「!?」」
夫婦は驚きに息を飲む。
「娘は贄嫁と呼ばれ、神の元へと向かう。山神様はこの村の加護をしておられるのだ。じゃがな、先代の村長がご健在だった頃に、山神様からお告げがあった。10年から6年にせよとな。当然村の者達から反対する者、賛成する者が意見を割ってな。中々結論を出せなんだ。そんな時、一度この村で疫病が横行した年があった。その年にギルベルトは流行病で母を亡くしておる。山神様の怒りを買った所為だと議論を急速に決める事になったんじゃ。結局10年から7年に決まった」
ふぅ。と小さく息を吐き、マルコスは白湯を飲むと、ジッと聞き入る夫婦を見つめる。
「昨年の夏、その儀式を執り行ったのじゃが、どうやらその娘は男と逃げてしまったらしくての…いつのまにか恋人がおったんじゃな…娘は処女でも無かった」
「!?それじゃあ、山神は?」
アイリスの疑問に村長は眉根を寄せて小さく頷いた。
「ああ。お怒りになられて、半年前に自ら花嫁を迎えに来られたんじゃ」
「山神が姿を表したと?」
ヴィルヘルムは興味深いとばかりに顎髭に手を寄せて問いかければ、マルコスは肯定に頭を縦に降る。
「当時はな、贄嫁候補がもう1人居った。夏の儀式の後、村に移り住んだ心優しい聡明な娘じゃ。山神様はその娘が嫁候補じゃとご存知だったんじゃろう。その娘を御氏名なされた。更に、毎年祈りと穀物を奉納すれば今後嫁を奉納しなくて良いと有難い条件を出された。しかし、約束を違わぬ様にと村と子供を…、人質をおとりになった…」
「…人質?」
「ああ。山神様が約束された日に3人の子供が病にかかった。見たことの無い症例じゃ。それが山神様の祟りでな。娘を嫁に出さぬならば、その子供達は死に、後に村は荒廃していき、壊滅すると…。その日から娘を監禁し、1週間後の夜、娘を…」
マルコスはそこまで語ると苦しげに眉を寄せて言葉を詰まらせた。
「…可哀想だったね。でも、ギルベルトが山に入るのに関係があるのかい?」
「あるよ」
アイリスの疑問に答えたのはジッと話を聞いていたフランシスだ。
アイリスとヴィルヘルムは視線をフランシスへと向ける。
「その娘とギルベルトは恋仲だったんだ。将来を約束した、ね」
「!?、恋、人…」
アイリスは口元を指先で覆い、ヴィルヘルムは目を見開く。
「そう。俺たちが想像を絶する程に想い合ってて、幸せの絶頂だった時に…永遠に引き裂かれてしまったんだ」
「…せやからかな?ギルちゃん、山神様に復讐してやるつもりで山に入ったんやろうって思うんやけど、あの娘の事も探しとるんやないかって気ぃもすんねん」
フランシスの後に続けたアントーニョの言葉にアイリスは眉を寄せた。
「…でも、その娘はもう…。だったら、亡骸だけでも?」
「分からない。俺はギルベルトじゃ無いから。でも、俺もギルベルトと同じ様に山に入ったと思うよ」
「そやな。親分もや。大事な人奪われて、指咥えとるだけでおれへんし」
フランシスとアントーニョは切なげに瞳を揺らした。
思い起こされるのは、菊との最期の会話。最期までギルベルトを想っていた。菊の願い通り、菊からギルベルトを引き離した事が本当に良かった事なのか…思い返せば思い返す程、心に哀しみと後悔の影が落ちる。
「…だが、軽装備で未熟な状態で山に1人きりで挑むのは無謀だ」
それまで黙っていたヴィルヘルムが呟くと、フランシスとアントーニョは目を伏せた。
「ヴィルヘルム殿。一つお願いがあるんじゃが…」
「…聞こう」
マルコスの真摯な眼差しにヴィルヘルムは居住まいを正して頷く。
「ギルベルトの事じゃが…」

その日、ギルベルトの今後について、マルコスからヴィルヘルム夫妻に依頼があった。




穏やかな午後。
ルートヴィッヒは綺麗な小川の流れる傍に建てられた一軒の家を訪れていた。
そのルートヴィッヒの隣を楽しそうに歩くのは茶髪の少年フェリシアーノだ。
フェリシアーノは2年前に村に移住して来た画家の孫だ。
祖父の付き添いで訪れた教会の裏手にある孤児院に迷い込んだ際、ルートヴィッヒと出会い、友人となったのだ。
当時は白いエプロンドレスを纏い、中性的な可愛らしい容姿だった為女の子だと思っていた。なんて可愛らしいのだと会う度に緊張さえした。
だが、それは昨年の夏に幻想だったのだと悲観に暮れた。あまりの暑さに川遊びをしようという事になって、孤児院の友人とフェリシアーノ、フェリシアーノの兄ロヴィーノという大人数で遊んだ際、全裸になったフェリシアーノにルートヴィッヒは大いに慌てふためきフェリシアーノに向かってその場にあった服を投げつけたが、フェリシアーノの股からぶら下がるイチモツに目をギョッと見開いた。
「ーーッ!?!?お、お前!男なのか!?」
「ヴェ?そーだよー?どうしたの?突然」
至極不思議そうに肯定し、ルートヴィッヒの方が可笑しいだろうとばかりに首を傾げられた瞬間、ルートヴィッヒの中で可憐で乙女なフェリシアーノ像が崩れ去ってしまったのだ。
あれから1年。
ルートヴィッヒはフェリシアーノの扱いにも慣れ、今では世話係になっていた。
「ヴェ!ルートの兄ちゃん喜んでくれると良いね!」
「…ああ。そうだな」
今ルートヴィッヒとフェリシアーノはギルベルトの住む家へと向かっている。
今日は孤児院で取れた芋をお裾分けに行くのだ。孤児院の芋は兄の大好物である。
しかし、兄は喜んでくれるのだろうか?
あれから兄は一切笑わなくなった。感情を削ぎ落とした無表情しか見せなくなったのだ。
菊の事を一生想い続けるつもりなのだろう。兄に縁談話が舞い込んでも、兄は頑なに話を蹴っていた。
そんな浮かれた話をする時間さえ惜しいと、睡眠と食事の他は鍛錬に明け暮れている。
ギルベルトの師を務める師匠夫婦にルートヴィッヒの嫌な予感は募るばかりだ。
兄は、鍛錬で逞しく強靭な肉体と剣技を習得していた。
これは師であるヴィルヘルムのおかげなのだろう。だが、その力への執着は、己の為なのか、山神への復讐故なのかが分からない。
兄は何一つ教えてくれることも無く、悟らせる事もしないのだ。

あの日から、もう5年になろうとしていた。



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