贄嫁14

ーー遡る事一月前の王都

「チッ、今度は大臣かよ」
忌々しいと舌打ちをし、太い眉を顰めたアーサーは部下である兵士を下がらせた。
翡翠の瞳を執務室の壁に掲げられた国旗に向けて、吐き出したくなるスラングを何とか飲み込む。
この6年程、王都では貴族を始めとした政治家や警察官僚の不正が目立ち始めていた。度重なる上層部での不正に民は怒りを爆発させ、今では反乱軍まで出来る始末。可及的速やかに鎮圧をしろと王や宰相は催促が尽きない。頼りない王に最早この国を立て直す程の力量も無く、民の怒りは更に助長され、反乱軍は増える一方だった。反乱軍に加勢する貴族までもが居るともなれば、国は傾き始めてしまうのが当たり前で、国の治安は悪化し、何処からともなくやって来た流行病に人々は倒れていった。対策を何も講じない王に民は呆れ果てて国外に亡命する者が増えた。
王都として栄えた昔と今の王都とでは、明らかに活気が違う。そして民も。王都から民は離れ、空き家が目立ち、この国は急激に廃れた。今も反乱軍が街に住み着き、あちこちでデモを起こしている。デモの内容は、王の失墜・安定した暮らし・国の発展である。
アーサーだって反乱軍と同じ考えを持ってはいるが、王に仕える家臣が反乱軍と同じ思想ともなれば、どうなるか分からない。家族や縁者は露頭に迷う事になる。せめて、今の王と共にこの国を持ち直す事が出来ればと日々奮闘していたのだが、今回またしても大臣である中流貴族の男が商人を介し、金品の横流しを受けていたとして捕まったそうだ。
アーサー1人が頑張った所で、家臣の足並みが揃わないどころか、掻き乱されている現実に焦燥感と苛立ちしか湧かない。
ふと睨みつける窓の向こうでは、王都に冷たい雨が降り始めていた。

ゴンゴンゴンッ!

突如として両開きの大きな扉が壊されそうな勢いで悲鳴を上げる。
アーサーは無言でツカツカと扉に歩み寄り、怒りに任せて扉を開くと先程飲み込んだ筈の怒りをここぞとばかりに吐き出した。
「うっせぇえな!!!ノックの仕方も知らねえのかクソイ○ポ野郎が!!サンドバックになりてえのか!!!」
「…うふ。君、僕の見たことない癖に笑えるジョークだね?」
アーサーは冷徹に響いた台詞を耳に受け、そろそろと目線を目前のマフラーから上げていき、冷たいアメジストの瞳とパチリと視線が合うとヒクリと頬を引き攣らせた。
そこにはニッコリ笑ってはいるが目がまったく笑っていない通称冬将軍、イヴァンが立っていたのだ。
彼の顳顬に筋が走っている事から言葉とは裏腹に既に怒っている。
「わ、悪い。ムシの居所が悪かった」
「ふーん、どうでも良いけどね。はい、宰相からの書簡だよ」
ズイと目の前に差し出された羊皮紙の束にアーサーは目を眇める。
「…報告書?」
「そうだよ。報告書提出期限は春先まで。忙しいね」
「あ?待て待て…、もう少しで冬が終わる季節だぞ?」
「わぁ、あと2ヶ月もあるかなー?無いよねぇ?頑張ってねー」
暦の換算にアーサーは天を仰ぎ、イヴァンは形ばかりの応援を送る。
そんなイヴァンにいつもの事かと諦めにも似た息を吐いて、ソファに座る様促してやると、イヴァンはニッコリとした笑顔でソファに腰掛けた。
アーサーもその向かいに腰を下ろすと、羊皮紙の束をテーブルに投げ置き「どうだった?」と質問を投げかける。
「うん。あの噂は本当だったみたい。アッチから来た行商人とか、アッチに行った事のある旅芸人の一座にも確認とれたし、僕の部下も実際目の当たりにしてちゃんと帰って来て報告してくれたよ」
イヴァンは満足そうに笑うと、長い足を組んで肘置きに肘を乗せた。
「だとしたら、あの伝承の話も関わりがあると見て良さそうだな」
「信じ難い事だけどね」
「ま、今回宰相からの書類…いや、王からの勅命みたいなもんか?この勅命を受けた以上、俺が行かねえとな」
アーサーは羊皮紙の束に目を眇めると小さく嘆息する。
「正直気が進まねえが、イヴァンお前に同行してもらうぞ」
「うふ。良いよ、何だか楽しそうだし」
「楽しむなよ」
ニコニコと笑みを浮かべるイヴァンにアーサーは嘆きたくなったが、何とか持ち堪えた。きっと何を言ってもこの男は怖気付くどころか、威圧感を纏って地味な嫌がらせをしてくるに違いないのだ。
「心配しないでよ。僕だってお家(王都)が大事なんだから。一刻も早くこんな腐敗した政治から開放されたいもん」
「…あぁ。そうだな」
アーサーもイヴァンも目指す目標は同じ。
より良い王政と、裕福な王都を実現させたい。

王都は腐敗した政治や強欲な貴族の所為で廃れているのだ。そんな時代に急激な発展を遂げた村があると耳にし、経済交渉という名目で調査に訪れる事にした。

ーー山神の加護を受ける村。

季節は冬の終わり。
とは言え、まだ道端には雪が残る程、この地は寒い。夜ともなれば氷点下になる。
イヴァンと2人での調査予定だったのだが、何処から話を聞き付けたのか(十中八九イヴァンだろう)、アーサーの従兄弟であるアルフレッドが同行した。
というのも、異様に大きな箱にアーサーは当初イヴァンの荷物だと信じて疑わなかった。ところが、山を越える為に馬車を用立てた時、荷物の中から身体が痛いなどとアルフレッドが飛び出して来たのだ。
驚いて固まるアーサーは隣で素知らぬ顔をするイヴァンを見遣るが、一先ずアルフレッドを優先する事にして、王都に戻る様に説得した。反抗期真っ只中のアルフレッドが素直に言う事を聞く筈も無く、折れたのはアーサーの方だ。
仕方ないと王都に居る家族に急ぎの電報を送って、この村に入り、酒場で情報収集となった。
アルフレッドには念入りに、勝手な事は言わない。単独行動はしない。と約束させている。

酒場で出会った商人の男から得た情報にアーサーは腕を組んで何事か思慮した。
「もう少し詳しい情報は無いか?」と口を開こうとした時だ。
「ところでアンタ達、そんな話を聞いてどうしようってんだい?」
そこに割って入ったのがカウンターの中でグラスを磨いていた店主の男。
店主の声に4人は話を中断し、男を見遣った。
「…どうという事は無い。単なる興味本位でね」
訝しむ店主にアーサーが肩を竦めて答えたが店主は大きく頭を左右に振った。
「悪い事は言わねえ、山に入って調べようなんて馬鹿な事はするな。余所者なら尚更だ」
「…あぁ、勿論さ」
店主はそれだけ告げると新たな客の対応に向かって行く。その背中を見送ると、アーサーは声量を少しだけ小さくしてイヴァンに問いかける。
「イヴァン、情報が足りねえ。山に行くにはまだ危険だろうよ」
唐突に話を振られたイヴァンは斜め上に視線を彷徨わせると何秒程か逡巡した後、「ああ」と漸く当初の目的を思い出すと手を打った。
「あの伝承の通りに儀式ってやつをするしかないかな?」
「その儀式の内容が分からねえし、何処で誰がやるのかも分からねえ。だが…峠に女か」
アーサーは手元のグラスを見つめて翡翠の瞳を弓形に細める。
「面白え謎だ…」
くつくつと小さく笑うアーサーをイヴァンは興味無さげに一瞥し、アルフレッドは呆れた様な視線を送って料理を食べ進めた。

「お前ら、伝承について知りてえのか?」

各々驚いた様に声の主、銀髪の青年を見上げる。
酒に酔っているのか頬は赤く、口角は愉快に上がり微笑みかけてくる男。その微笑みは大変胡散臭いが、珍しい色合いに整った顔と逞しい身体を持っている。
突然現れた美丈夫に一拍時を忘れた。
「…!、伝承について少しばかり興味があったので…、単なる興味の範疇ですよ」
アーサーは取り繕う様に人当たりの良い笑みを浮かべて銀髪の男に応える。詳しい事は知りたいのだが、この男が信用に値するのか分からない。何よりその目が凍える様に冷たいのだ。
「おいおい。人の親切は素直に受け取るもんだ。そうだろ?俺様はその伝承に詳しいぜ?…あ、俺様はギルベルト。宜しくな」
銀髪の男、ギルベルトは料理を頬張るアルフレッドの隣に腰掛ける。
アーサーとイヴァンはお互いに目配せをし、小さく頷いた。詳しい者から話を聞けるなら願ったり叶ったりだ。
「…聞かれてたなら隠す必要も無えな。俺はアーサー。こっちはイヴァン、コイツはアルフレッドと言う」
「うふふ、宜しくね?ギルベルト君」
「アルって呼んでくれても良いんだぞ!」
ギルベルトは軽く「おぅ」と返答すると、テーブルに肘を付いた。
「で?おたくらは何者だ?…って、それはどうでも良いか」
ギルベルトは大して興味も無いと首を横に振ると「何でも聞いてくれ」と3人を見遣る。
「…素性を探られないというのも奇妙だが、今は良いか」
アーサーは隣に座るイヴァンに呟くと、ギルベルトを真っ直ぐ見る。
「ギルベルトはこの村の生まれか?」
「おう。この村から出た事も無えし」
「そうか。ならば伝承についても詳しいだろうな」
「どんな伝承だ?」
ギルベルトは頬杖をついて楽な態勢をとる。
「その伝承はね、この村の急激な発展の背景には、山からの不思議な力の恩恵があるって噂があるんだ」
イヴァンは手元のロックグラスを揺らしながら語り出した。
山からの恩恵には山神という未知なる存在が関係しているのでは無いか?魔術という範囲を大きく超えた見えない力の源は何処にあるのか?
単刀直入に言うイヴァンにアーサーは焦りを感じるが、質問されたギルベルトは訝しむどころか、ニヨリと笑みさえ浮かべていた。
アーサーはギルベルトの態度や表情に違和感を覚える。
気持ち悪い程に造られた笑みと何を企んでいるのか読めない腹の底。
この男は不快だ。とアーサーは目を眇めたが、手元のナッツを噛み砕く事で感情を誤魔化した。
「ああ。お前の推察通り、あの山からの恩恵ってやつだろうな。だが、山神なんかじゃ無え。悪魔の仕業だ」
悪魔だと言い切ったギルベルトにアーサー達はギョッと目を見開く。見開いた視界の先でギルベルトの赤い眼差しが一瞬剣呑に光ったが、瞬きの間に元どおりの光の無い瞳に変わった。
「…悪魔だと?何故言い切れる?」
悪魔が加護の力を?そんな馬鹿な話なんてある訳がない。
「人間を攫って喰らう化け物が神な訳無えだろ」
吐き捨てる様に言い切るギルベルトにアルフレッドは青ざめ、アーサーとイヴァンは眉を顰めた。
「攫って、喰らう?」
「そうだ。もう100年は昔から続くこの村の習わしだ。数年に1度、18歳未満の処女を生贄にすんだ。生贄は贄嫁って呼ばれてよ、満月の夜に奉納してきた。今はもう廃止されたがな」
「過去とは言え生贄なんて捧げて来たのかい!?」
アルフレッドは我慢出来ないとばかりに拳を震わせて、碧色の瞳の奥に正義の怒りを宿した。
そんなアルフレッドを窘める様にアーサーが肩に手を置くと、声のトーンを幾分小さくする。
「もし、その贄嫁とやらを奉納しなかったら、どうなるんだ?」
その質問を耳にした途端、ギルベルトの雰囲気がガラリと変わる。
赤黒いオーラを身に纏い、額には青筋がビキビキと目立ち始め、瞳を大きく見開いて何かを抑え込もうとしている。洩れ出る殺気に目の前のアルフレッドはヒュッと息を飲み、いつ攻撃されるか分からない雰囲気にイヴァンとアーサーは警戒する。
ギルベルトは大きく息を吐き出すと、ポツリと搾り出す様に言葉を発した。
「…消滅だ。贄嫁を寄越さねえなら、子供達から疫病を流行らせて、村人を根絶やしにするんだとよ」
あまりにも恐ろしい内容に3人は言葉を失った。
ギルベルトが神では無く、悪魔だと断言した理由も理解出来た。神の所業としては、些か度が過ぎている。
沈黙が流れる中、ガヤガヤと騒ぐ酔っ払いの声だけが流れてきた。
重々しい空気を霧散する様にギルベルトはパッと笑みを浮かべ、アルフレッドの頭をワシワシと無遠慮に撫でる。
「で?まだ何か聞きてえ事はあるか?」
「…最後に良いか?あの山にその悪魔が棲んでて、それなりに力を持ってるって事で間違いないか?」
アーサーの質問にギルベルトはコクリと頷いた。そしてチラリと不安気な眼差しを向けてくるアルフレッドを見下ろす。
「ああ。悪い悪魔が強い力を持ってる。…この村を救うヒーローが居れば良いんだけどな」
アーサーはギリッと奥歯を噛み締めた。この男、一体どういうつもりだ。と眼差しが剣呑になる。
案の定、アルフレッドは目を輝かせて鼻息を荒くするとパッとアーサーを振り返って宣言する。
「聞いたかい!?この村を救うヒーローが必要とされてるんだぞ!!ヒーロー即ち俺の事だよね!!」
賺さずその頭をアーサーがチョップで黙らせる。
「ばか!!お前はまたヒーローだとか言って危ない事しようとすんじゃねえ!!」
「ッいた!もう!おっさんは煩いんだぞ!俺は子供じゃないんだ!」
「18歳なんてまだまだガキだろうが!このばかぁ!!!」
「過保護も大概にするんだぞ!!」
口論する2人を横にイヴァンはニッコリと模られた笑顔でギルベルトに問いかけた。
「それで?君は何が目的なの?何がしたいの?」
アメジストの瞳が探る様にギルベルトの瞳を見定める。ギルベルトは洞察力に長けているようで、その証拠にアルフレッドはまんまと乗せられている。やはり油断ならない男だ。
「…別に。聞かれたから親切に伝承を語ってやっただけだぜ」
すっと眇められたイヴァンの瞳から逃れる様にギルベルトは席を立つ。
「おい、坊主」
ギルベルトは未だ口論するアルフレッドに「話が聞きたくなったら川沿いに家がある。そこまで来いよ」と告げると、そのまま酒屋を後にした。
その背を見送るとアーサーは眉を寄せてイヴァンを見遣る。
「おい。アイツ何企んでやがるんだ?」
「んー、分かんないよ。だって僕は彼じゃないし」
手元のウォッカを飲みながら、イヴァンは興味が無いとばかりにマスターを呼び寄せてお代わりを告げた。
「村人が困ってるなら助けてあげるのがヒーローの役目なんだぞ!!」
碧色の瞳がキラキラとアーサーの翡翠の瞳を見つめる。
「困ってるならって、あいつ俺等に助けてなんか言ってもねえだろ?だから困ってなんか無えよ。言っとくがアイツの所なんか行くなよ?」
「ムッ!アーサーは頭が硬いんだぞ!いちいち俺の行動に干渉しないでくれよ!もう大人なんだ!!」
プクッと頬を膨らませたアルフレッドはそのまま二階にある宿へとズカズカと怒り肩で去ってしまった。
「〜ッたく!クソガキが!」
苛立ちを紛らわせる様に金髪を掻くアーサーにイヴァンは「いいの?」と呟く。
「良くねえよ。あの銀髪の男の話を信用するもしないも、多少なりとも魔術を齧るこの俺が感知出来ない魔力があるなんてな。過信していた訳じゃないが、俺には何も感じられないのは事実だ」
忌々しいとばかりにアーサーは頸を右手で揉み込むと大きく息を吐いた。
「現にこの村は異常な程発展し、流行病も何も無いときた。隣街や王都とは比較にならねぇ程だぞ、こんな安定した治安は」
「そうだよねー。不気味な程に…」
イヴァンの言葉にアーサーは頷くと、顎の下で両手を組み合わせて目を眇めた。
「この地域を覆ってるはずの力を全く感じねえから、単なる毛の生えた噂だと思ってたが事態は予想の斜め上だ。見えない力…その根源が何か…。チッ、報告書面倒だな」
「…ふーん」
「何だよ…」
「別に?ただ君の事だから、その不思議な見えない力を取り込んじゃうのかな?って思っただけだよ?」
「…随分具体的に言ってくれんじゃねぇかよ」
アーサーは隣でウォッカを呷るイヴァンを睨む様に見遣るが、イヴァンは何でも無いとばかりにナッツを手に取った。
「すべては王都の為だ。王都の繁栄は俺達の悲願でもある。この数年でこの村がここまで豊かで平穏に繁栄してんのは、何らかの力があるからだ。その力を欲しいと思うのも当然だろ」
「…まぁね。同感だよ」
イヴァンは愉しげにうふふ。と笑うとナッツを口に放り込んだ。ガリッとナッツを噛み砕く音がやけに大きく響く。
「…ちゃんとお仕事して帰らないとね?アーサー君」
「…フン、分かってる」







酒場を後にしたギルベルトは三日月が仄暗く照らす夜道の真ん中で立ち止まり、大きく連なる山脈をジッと見つめていた。

「菊、待ってろ」

必ずこの腕の中に取り戻す。










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