猫足の大きなソファに気怠く座る青年、ヴァルガスファミリーのボスであるロヴィーノは菊からゴブリン掃討の報告を欠伸をしながら聞いていた。
静かな執務室には、菊とロヴィーノの2人だけ。
朝の冷たい風が森の匂いと共に遮光カーテンを揺らし2人の鼻腔を掠める。
あと数時間もすれば日の出となる時間帯。
「で?銀髪ヤローは使えそうなのか?」
「まだ見学しかしておりませんよ?判断は時期尚早です」
「んな事言ってもよ、ゴブリンに温情を与えてやれって庇ったんだろ?とんだ甘ちゃんだぜ」
ケッと吐き捨てる様に言うと濃いめのコーヒーを喉に流し込む。
「堕天使とは言え、天界に属していた天使故の行動と感情です。仕方ないといえば、仕方ないでしょう」
背筋をピンと伸ばし、黒のスーツを身に纏う菊は相変わらずの無表情で淡々と言葉を吐く。
「…随分あの銀髪ヤローがお気に入りなんだな」
「おやおや、妬きもちですか?」
「うっせーな」
不機嫌に顔を顰めるロヴィーノに菊は小さく笑うと、手元のメモに目線を落とした。
「捕らえたボスを午前中に警察に引き渡します。それまでに、寿命200年の徴収をお願いしますね」
「あぁ、分かってる。後で地下牢に行く」
「おや、出来れば今すぐにでもお願いしたいのですが?この後の仕事が詰まっておりますので」
「いや、俺ねみぃし…」
「ロヴィーノくん?」
「……」
ニコリと菊が胡散臭く微笑むと、ロヴィーノはガリガリと頭を掻き、舌打ちをして立ち上がった。



暗闇に蝋燭の灯りがゆらゆら揺れて、壁に影を投影させる。
特殊な鉄で出来た大きな牢屋には、捕らえたゴブリンのボスがうつ伏せで倒れていた。
燭台に灯した火の明かりでその全容が目に入ると、ロヴィーノは眉を顰める。
「おい、これ生きてんのか?寿命200年分残ってんのかよ?」
ボロ雑巾の様なボスの姿に、寿命が残っているのかどうかの心配が過ぎる。目の前のボスは今にも死んでしまいそうだ。
「ええ。例え201年しか無くとも、此方は徴収して警察に引き渡す事が出来れば問題ありませんよ」
「いや、そうじゃねえよ。コイツの心配なんかするか。徴収してすぐ御陀仏になったりしねえの?生きたまま引き渡すんだろ?」
『あぁ、そういう事か』と納得すると、燭台を近くの丸テーブルに置く。
「生きたままで無くとも構いませんよ。亡骸でもお金になります。そんな事よりも徴収が大切ですからね。お金で寿命は買えませんから」
「そーかよ。分かった、遠慮なく徴収させて貰うぞ」
ロヴィーノがシャツの袖を肘の辺りまで捲ると、菊から血の契約書を受け取る。
「…おい菊、コイツ起こさねえと意味無え。俺は触りたくねえから起こせ」
菊は小さく溜め息を吐くと、気絶したままのゴブリンに向かい、指をパチンと鳴らす。すると、ゴブリンの折れた右腕が縦にパックリと裂け、液体が飛び散った。
その痛烈な痛みにゴブリンは目を見開き絶叫する。
「うるせー、起きたかよこのヤロー」
野太い嗄れた悲鳴に眉を顰めたロヴィーノは忌々しそうにゴブリンの近くに歩み寄る。
柵越しにロヴィーノを地面に這い蹲ったまま見上げるゴブリンの表情は絶望に歪んでいる。
「今から徴収するぞ、お前は俺に応えるだけで良い。手間掛けさせんな」
ロヴィーノが契約書の束に右手を翳して、呟きだしたと同時に契約書の文字が緑色に発光する。
暗い空間に眩ゆいばかりの緑色の光は目に痛い程だ。
「汝の寿命200年分を血の掟により、徴収する。凡ては我等がヴァルガスの安寧と繁栄と秩序の為に」
「……ッ!」
唖然と見上げ、返答もしないゴブリンに菊は柵の中に入り込み「返答を」と冷たく声をかけた。
大きく肩を揺らしたゴブリンは「ハイ!ワカッタ!ワカリマシタ!!」と叫ぶ。
その瞬間緑色に発光していた光が金色に変わった。光はゴブリンに伸びていくとその体を覆い纏わりつく。
ゴブリンの身体はみるみる内に皺が入っていき、一回り程体が小さくなった。
金色の光が契約書の束に戻っていくと、今度は緑色に発光した。
「ふん、完了だ。シマを荒らした罰だ。恨むんなら自分の愚かさを恨め、このヤロー」
眼光鋭く小さくなったゴブリンを睨むと、契約書の束の光は消えた。
柵越しに居た菊は、いつの間にかロヴィーノの背後に陣取ると、契約書を受け取る。
「……ゥ、ォォォォアアア!!」
絶望に呻く、年老いたゴブリンを放置して燭台の灯りを手に地下牢を後にする。


赤い絨毯が敷かれた静かな廊下をロヴィーノを先頭に歩いていると、前方には寝癖の目立つギルベルトが壁に寄りかかって此方を見ていた。
「よお、随分と早えな。何処行ってたんだ?」
「……徴収だこのヤロー」
ロヴィーノの言葉にギルベルトは眠そうだった目をパチパチと瞬かせて、徴収?と首を傾げていた。
「おい、菊。銀髪ヤローに説明してねえのか?」
ギルベルトの反応に今度はロヴィーノが目を瞬かせて、背後に控える菊に問い詰める。
「おや、私とした事が。恐れ入ります、すみません」
「何だそれ。しっかり教育しとけこのヤロー。俺は今からもう一回寝るからな!時間になったら起こせ」
欠伸をしながら、ロヴィーノはそのままギルベルトの脇を抜けて、2階にある寝室に向かった。
「で?説明は?」
ロヴィーノの背中を見送った後、ギルベルトは菊に説明を求める。
菊は懐中時計を見遣り時刻を確認しふむと1人頷く。今は午前四時を少し過ぎたところだ。五時まで休憩がてらにギルベルトとお茶でも飲もうと思考した。
「そうですね。時間になるまで、応接間で説明がてらお茶しましょうか」
「…しゃあねえ、俺様珈琲な」
ギルベルトは、菊の提案に異議も無く従う事にした。だが、飲み物は珈琲を催促する事を忘れない。

広い応接間にギルベルトと菊が向かい合う様にソファに腰掛ける。
ギルベルトは長い足を組んで、向かいに座る菊を見遣る。
菊はソファに浅く腰掛けて、相変わらずピンと背筋を伸ばしていた。
「では、説明しましょうか。私たちはシマを荒らした物の対価を寿命をもって払って頂いております。ギルベルト君が聞きたいのは寿命の徴収についてで宜しいですか?」
「ああそうだ。寿命の徴収なんかして、何の利益があんのかさっぱりわかんねえ」
「そうですね。寿命というのは当然お金では買えません。とても貴重な物として私達は見ております。では、その寿命をどうするのかと申しますと、私達のボスの糧となります」
菊の言葉はそのままの意味だろうか?だとしたら、ボスが寿命を食べる。という意味合いになる。
益々理解出来ない。
「私達のボスは吸血鬼と人間のハーフでいらっしゃいます。その中でも血を飲まない種族となれば、より人間に近い存在となります。そうなれば、彼等の中にある吸血鬼としての生命維持組織が人間の組織そのものに書き換えられてしまいます。今まで200余年をあの姿のまま生き長らえる事は不可能です。そこで、寿命を徴収しボスが2人で分け合い、体内にある吸血鬼としての組織を維持しているのです」
ここでギルベルトの頭には疑問が過る。
「なあ、寿命を対価にするってのは分かったけどよ、寿命って契約書とは関係無く勝手に徴収出来るもんなのか?」
「まさか。それはルール違反です。勝手に寿命を奪い盗るのは禁忌に値します。いくら魔界の魔族といえども、ルールはありますからね。それ程寿命というのは大切な物なんですよ。だから私達はシマを荒らすモンスターから金品や命よりも貴重な寿命を徴収しているのです」
どこの世界にも必ずルールが存在するのだと菊は丁寧に説明していく。
「要するに俺たちには、血の契約のルールも有るけど、魔界のルールも摘要されてるって事だよな?」
「そうなりますね。心配なさらずとも、私達に天界と人間界のルールは摘要されませんよ」
「ふーん。その貴重な寿命を徴収してまでボスを生き長らえさせる理由は何だよ?」
ギルベルトの質問に菊は僅かに言葉を詰まらせた。
その様子にギルベルトは目を細める。
「…理由は簡単です。跡取りが居ないんです。ハーフである吸血鬼の寿命は私達に比べれば一瞬の生です。ファミリーの繁栄を願いボスはファミリーの為…端的に私達の為に生き長らえています。血の契約書はヴァルガスの血を引く者で無いと扱えません」
「ファミリーの為?契約が切れてもファミリーに属してる奴等に生き死にの関係があんのか?」
「貴方とアルフレッドさんそれにフランシスさんには関係無いですね。ただ私とアントーニョさんはボスが今の状態で消えれば、記憶が無くなり、肉体は滅びてしてしまうんですよ」
滅びる?ギルベルトは驚きに目を見開いた。
「何でそんな事になんだよ?」
「私とアントーニョさんは悪魔です。私達は血の契約書に名前を刻んではおりますが、正式にはヴァルガスファミリーのボスと契約しているのです。ボスの願いはファミリーの繁栄、安寧です。悪魔は望みを叶えるとボスの死後、その魂を自由に出来るんです。でも今のこのファミリーに安寧も繁栄も望めない状況です。契約が成立せずにボスが消滅すると、私達悪魔も契約未完の代償として記憶が無くなり魂だけ魔王の元に返されるのです。一種の転生と言いましょうか…」
それ故、悪魔は契約を結ぶ際は特に慎重にならなければならないのだ。
「ん?ちょっと待てよ、お前は先代の頃からヴァルガスファミリーに居たんだよな?」
「はい、そうですが?」
「先代のボスは願いを叶える前に消滅したって言ってたけど、なら何でジジイは此処に居るんだ?」
その質問に僅かに菊の表情は強張りを見せた。直ぐに表情を取り繕うと、真っ直ぐギルベルトを見る。
「貴方なら、この話をした時に尋ねてくるだろうと予測はしておりましたが…、いえ、ちゃんとお話しします。その当時私はまだ野良の悪魔でして。先代のボスとは契約しておりませんでした。契約を交わしておりませんでしたので私には何の影響も無かったのですよ。その後私より先にロヴィーノ君と契約したのはアントーニョさんでした。契約者は1対1です。だって魂は1つでしょう?なので、私はフェリアーノ君と契約を交わしたのです」
「双子には1体ずつ悪魔が憑いてるってことだな」
ギルベルトの呟きに菊は「そうなります」と何処か表情を暗くして告げた。
「何だよ?あんまり乗り気じゃねえのな」
「…我が子同然に育てた子供の魂を食べるなんて、いくら私でも、ね…」
200余年も育て、慈しみ、側に居たのだ。契約とはいえ、200余年もの歳月は長過ぎたのだ。
「じゃあよ、何で契約したんだ?」
「……、あの子達が先代のボスから託された宝物だったからでしょうか。通常、死にゆく者等捨て置くのが常識だったのに、生死の境に立たされたあの子達と契約する事で小さな命を繋いだんです。悪魔が助けた形となりましたが、実際は重い枷をあの子達に嵌めてしまったのです。すべては先代の為と言ってはおりますが…」
無表情なのに、声のトーンは悲しみや後悔の念を含んでいた。ギルベルトはそれ以上追求して質問する事が出来なかった。
「なんかよ、どの世界も厳しいんだな」
「…ええ、そうですね」
クスクス笑う菊に大きく溜め息を吐いた。
「ってかよ、ボスは優しいんだな、お前ら悪魔の為にも生き長らえてる様なもんだしよ」
両手を頭の後ろに組み、天井を仰ぐ。
「とてもお優しい方々ですね。それが枷となっていたとしても、その優しい心はとても嬉しいです。ですから、私は全力でヴァルガスファミリーにお仕えしているのです。ギルベルト君も全力でお仕えしてくださいね」
「おう。まあ、契約書にサインしちまってるし、行く所も無えし。しっかり仕事してやるよ!」
ニッと笑ってみせたギルベルトに菊は目を丸くする。
「ふふ…、それは頼もしい。頼りにしておりますよ?」
穏やかに微笑む菊にむず痒い気持ちになりながら、ギルベルトは手元の珈琲を一気に飲み干した。

此処がギルベルトの生きていく場所。

そして、仲間だ。
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